藤田嗣治 Tsuguharu Fujita
明治半ばの日本で生まれ、80年を超える人生の約半分をフランスで暮らし、晩年にはフランス国籍を取得して欧州の土となった画家・藤田嗣治(レオナール・フジタ 1886-1968)は、エコール・ド・パリの寵児のひとりです。
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Léonard FOUJITA “Book of Cats” 藤田嗣治「猫の本」展
2019年09月05日~ 2019年09月18日ギャラリーサンカイビ
Biography
1886年 | 東京市牛込区(現・東京都新宿区)の陸軍軍医の次男として生まれる。 |
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1905年 | 東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科に入学。 |
1913年 | 渡仏。パリのモンパルナスに居を構えパブロ・ピカソやアメデオ・モディリアーニらと交友。 |
1914年 | 第一次世界大戦が勃発。1918年終結。 |
1917年 | 美術評論家であるアンドレ・サルモンから高評価を受ける。 |
1919年 | サロン・ドートンヌに出品した6点が入選。審査員にも推挙され、名声を博する。 |
1925年 | フランス政府からレジオン・ドヌール勲章(シュバリエ)を、ベルギーからレオポルド一世勲章を受 |
1929年 | 17年ぶりに日本に帰国、翌年にはパリへ戻る。 |
1932年 | 中南米を回る。 |
1933年 | 日本に帰国。 |
1938年 | 日中戦争の従軍画家として中華民国へ渡り、翌年帰国。 |
1939年 | パリへ戻るが、第二次世界大戦が勃発。翌年、日本に帰国。 |
1949年 | 日本を去りアメリカへ。翌年フランスへ。 |
1955年 | フランス国籍を取得。 |
1957年 | フランス政府からレジオン・ドヌール勲章(オフィシエ)を受ける。 |
1959年 | フランスのノートルダム大聖堂でカトリックの洗礼を受け、レオナール・フジタとなる。洗礼後のの第一作「聖母子」をこの大聖堂に奉納する。 |
1968年 | スイス チューリヒにて逝去。日本政府より勲一等瑞宝章を追贈される。 |